サイパン旅行記 第20話「砂糖王公園と彩帆香取神社へ出かける《後編》」

jinja彩帆香取神社(「彩帆香取神社」 – Wikipediaより)

 

ガラパンを縦断して、徒歩で「シュガーキングパーク(砂糖王公園)」に出かけた話。

☆参考:第18話「砂糖王公園と彩帆香取神社へ出かける《前編》

☆参考:砂糖王公園 – Wikipedia

☆参考:彩帆香取神社 – Wikipedia

 

砂糖王公園と彩帆香取神社への想い、そして道のり

宿泊するホテル、ハイアットリージェンシーを出発して、曇り空のもと僕らは歩いた。
息子は眠いらしく愚図っていた。ホテルで寝ていれば?と言ったけれど、ついて行くと言う。なので、彼のペースに合わせて歩かざるを得ない感じでノンビリ進んだ。

空はどんよりと雲に覆われている。時折、雨がポツポツと降ってくるが、まとまった雨ではない。
この隙に、何としても参拝を済ませなければならないと思った。

 

僕はサイパンに旅することが決まったときから、ここシュガーキングパークに行くと決めていた。

そこには、かつてサイパンが日本だった頃にサイパンを一躍発展させた功労者・松江春次氏の銅像が立っている。僕は砂糖王(シュガーキング)と呼ばれた松江氏に敬意を表し、一度は訪問したいと思っていたのだ。

そして同じ敷地には、かつての彩帆神社がある。
かつてここが日本だった頃、サイパンに住まう日本人の拠りどころとなっていた場所のひとつだ。先の大戦で壊滅したけれど、今は再建されて彩帆香取神社となっている。僕はここに参拝しなければならないという衝動に駆られていた。理由はわからない。けれど、ガラパンにいるのならどうしても行かねばならぬと思っていた。

そしてとうとう実現の時が来て、こうしてミドルロードを歩いている。左手にはタッポーチョを臨む。「歩兵の本領」が聞こえてきそうだ。歌を知っていればなあ・・・

ミドルロードは片側2車線の幹線道路。なので、クルマがビュンビュン側を走りぬけていく。歩道らしい歩道がないので、僕は子どもらが心配で慎重に歩を進めるしかなかった。曇り空だというのに湿気のせいか、矢鱈汗をかく。それで余計に体力を消耗するのか、たいして歩いていないのに疲れてくる。

ここで、普通にTAXI使えよという意見があるのだけれど、それはその時ウッカリ忘れていたので発想もしなかった・・・
今思えば、ホテルにTAXIを呼んでそのまま乗って行けばよかった。高くても数十ドルで済むので、安いものだ。

とにかく歩いて行ってしまったし、その時はTAXIを使うという発想も飛んでいた。なので僕らは疲れたけれど歩いた。

 

松江氏の像とご対面

そして歩くことおよそ40分くらいかけて、とうとうシュガーキングパークにやってきた。

敷地には特に看板など存在を示すものはなく、フェンスと緑に覆われた公園の何か所かに、鳥居を模した門があるくらいだ。ちょっとわかりにくいと思われる。
ともかく目的地にやってきた。どこがメインの入り口かわからないので、周囲をまわってみた。

すると、管理事務所らしきもの(かつてのサイパン実業学校by日本)の建物を発見した。写真で見たことがあるので、僕はこれでここがシュガーキングパークであることを確信した。
と思ったら、もっとわかりやすいモノがあるではないか。かつてここサイパンで大活躍したサトウキビ運搬機関車が視界に入った。

これはかつてここが日本だった頃、南洋興発がサトウキビ運搬に使用していたものだ。生憎これらが走っていた路線は戦争と共に破壊されてしまったけれど、この機関車だけが生き残った。そしてそれは、時を超えて今でも静かにたたずんでいた。

機関車がいるということは、この近くに松江氏の像があるのも間違いない。
全体的に鬱蒼と緑が生い茂っているので、公園内の見通しはよろしくない。僕は道らしきものをたどって、公園内を歩いてみた。

 

すると、視界が開けたところに松江氏の像は立っていた。
松江春次氏の銅像は、まだここが日本だった頃の1934年に建立されている。南洋興発創業者として、サイパンほか当時日本だった南洋群島の発展に寄与したということで、存命の現役社長として異例のできごとだったようだ。

その後太平洋戦争においてサイパンは米軍によって完膚なきまでに破壊された。けれど、松江氏のこの像は倒壊することなく、爆弾にも砲弾にも銃弾にも米軍にも屈することなく生き残った。彩帆神社も南洋興発も、サイパンの街も全て軒並み破壊されたけれど、この像はそれでも立っていた。近所の刑務所跡や鐘楼などと共に。

全てが米軍の攻撃に屈したわけではなかったのだ。

戦後、米軍によって破壊されそうになった。けれど、現地人の衆望厚かった松江氏の像の破壊は彼らの反対に遭い、米軍はそれを諦めた。その後嫌がらせに何カ所か銃弾を浴びせられたそうだが、パッと見にはわからない。像が立ち、彩帆公園および彩帆神社があったところに、今のシュガーキングパーク・砂糖王公園がある。

目の前に高く聳える松江氏の像を見上げ、その威容に圧倒される気分だった。何かこう、ものすごい眼力で見下ろされているような心地になった。僕は何となくだけれど、像に対して深々と一礼した。「ようやくお会いすることができました」
確かに、かつてここは(わずか20年ちょっとくらいのことだけれど)日本だったということを実感した。

 

彩帆香取神社に参拝する

それから、公園の奥に進み彩帆神社の構造物として残る、灯篭と社標を見にいった。灯篭は上半分がなくなっている。戦火にて吹き飛ばされたらしい。残った土台部分にも、銃弾の跡が生々しく残っている。

社標は、これもまた戦火を潜り抜けて残っていたけれど、一度自然倒壊したらしい。しかし、天皇皇后両陛下のご訪問に際して修復されて今に至るとのこと。こちらもまた、外形はボロボロであるが「彩帆神社」と赤い文字で刻まれている。僕はここで手を合わせた。

そして、その手前にはこの島に数多く建てられている慰霊碑のひとつがあった。もちろん、ここでもしばし手を合わせて瞑目した。何かこう、こみあげてくるものがあった。来るべき場所へ来たような気がした。

 

そして、彩帆香取神社に参拝した。そもそもこの地には、香取神社があったらしい。この公園の裏山中腹あたりにお祀りしたのが起源とのこと。その後彩帆神社を経て、香取神社関連の人々の尽力でここに彩帆香取神社として再建されたと聞く。かつての彩帆神社本殿の位置に、今も本殿がある。それは小さな、とても小さな祠のような佇まいだけれど、そこに至る石段をひとつひとつ登り、このために持ってきておいた日本円硬貨をお供えした。同じことを考える人はいるもので、本殿にはいくつかの日本円硬貨が納められていた。

僕は普段から、月一で氏神さまにお参りする習慣を持っている。なので、拍子をしっかり響かせる自信はある。ここでも、(特に表記がなかったので一般的な)二礼二拍一礼をした。子どもらにもこれは覚えさせてあるので、一緒に手を叩いて頭を下げた。

 

天候と時間に余裕があったら、裏山を歩いたり南溟堂にうかがったりしたかったけれど、いよいよ雨が降ってきそうだ。このあたりでホテルに戻ることにした。もう一度松江氏の像に目礼をして、僕らはシュガーキングパークを後にした。

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